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【アラベスク】  第8章 荊の城



第3節 窮鼠、鶴を噛む [5]




 自宅で、小中学生向けの英語教室を開いていたという瑠駆真の母。
 嫌いな母親の話題が出たので、機嫌が悪くなってしまったのだろうか?
 たったそれだけで? ちょっとおかしくない?
 唇に右の人差し指を当て、さらに歩みを落とす。
 いつもなら、私には関係ないっ! と頭を振る美鶴だが、今はそんな気にはなれない。
 山脇瑠駆真……
 なんだろう? 何か、彼に言いたい事があったような気がする。聞きたい事があったような気がするのに、思い出せない。
 あの地下で―――
 里奈や澤村が語った過去の出来事。その中に、瑠駆真が出てきたような気がするのだが。
 美鶴は中学時代の瑠駆真を知らない。だが彼は知っている。知っていて、その頃から想いを寄せていたと言っている。
 言葉を交わしたことでもあったのだろうか?
 いつ?
 別にどうでもいい事なのだろうが、気になり出すと考えずにはおれない。
 あの地下で聞いた、どの話?
 里奈の話? 澤村(さわむら)の話?
 思い出したくもない出来事だが、忘れろという方が無理というもの。
 里奈――――
 ついに美鶴は足を止めた。
 ここは学校の裏庭。昼休みの蒸し暑さに耐え切れず、涼を求めてフラついているだけ。
 裏庭は陽が当たりにくいのでワリと涼しい。だが、整えられた南向きのテラスなどとは違って、テーブルやベンチが置かれているワケではない。ゆえに、夏でも生徒の姿はあまり見かけない。
 寂れた雰囲気は、華やかな世界を好む生徒には敬遠されがちなようだ。
「里奈」
 唐草ハウスは、美鶴が今住んでいるマンションからなら、歩いて行ける。
 こんなに近くにいたなんて。
 思い返すと、気分は複雑だ。
 里奈の裏切りが誤解であったとわかった今、その名も口にしたくはないといった腹ただしさは沸いてはこない。
 だが、あれだけ激しく突き放した手前、こちらから和解など申し出ることもできない。
 できないし―――
 瞳を閉じる。
 いまさら、仲直りをしようとも思わない。
 もう離れてしまった二人だ。今はもう別々の道を歩いている。
 無理に歩み寄ることもないだろう。
 そう言い聞かせる脳裏に、澤村の言葉が響く。

「お前には、勝てなかった」
「里奈の中では、お前が一番」

 澤村から嫉妬されるほど、自分は里奈に想われていたのか。
 だがその事実を、嬉しいとは思わない。
 耳底を叩く、嘲笑の嵐。

「大迫さんなんて、田代さんの引き立て役よね」

 里奈が私を必要としたのは、ただ自分を引き立てる存在が欲しかったから。

「美鶴がいないと、私なんにもできないのっ」

 泣きじゃくる姿を見ても、どうしても素直には認められない。冷めた感情が、その姿を(しら)けさせる。
 高校に入って苛めに耐えられず、学校を辞めた。だが、今再び美鶴が里奈の(かたわら)に戻ったところで、高校生活は取り戻せない。
 もはや里奈に、美鶴は必要ないのだ。
 美鶴に里奈が必要ないのと同じように―――
 そもそも、本当に美鶴が必要だと言うのなら、なぜ美鶴が里奈を突き放した時、本当の事を言わなかったのだろうか? 美鶴が澤村に振られ、里奈を誤解してしまった時、なぜ里奈は、その誤解を解こうとはしなかったのだろうか?
 何でもハッキリと口にする気の強い美鶴には、里奈の行動がどうしても理解できない。
 里奈という少女が、思ったことをなかなか口にできない気弱な存在であることは知っている。それゆえに中学時代は、自分がいなければという思いもあった。自分が側にいなければ、里奈はすぐにトラブルに巻き込まれてしまう。
 だが里奈のその優柔不断で奥手な性格が、よもや自分に災いを振りかける事になろうとは思いもしなかった。
 人間とは、当事者になると途端に保身で周りが見えなくなる。美鶴もまた、理解していたはずの里奈の性格が、さっぱりわからなくなってしまった。







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